遠州浜松「里の家」里山の暮らし

浜松市北区都田町の里山に魅せられて、森と田んぼと畑のある里山、築120年の古民家で暮らし、みやこだ自然学校をしています。

都田の馬渡橋

今日、たった一枚の古い画像が仕事で必要になって、撮影した画像をストックしてある40本ものMOから探す作業に追われ・・。見つかったものの、途中で見入ってしまうことしばし。僕が好きだった風景がなくなったなぁ、と感慨にふけってしまいました。

画像は都田川にかかっていた「馬渡橋」。岸の向こうの竹林には貴重種ヒメボタルが初夏に光っていました。「馬渡橋」はホタルの名所の代名詞になっていました。日付けは2003年6月12日になっていました。梅雨の雨で増水していますが、普段は澄み切った清流です。映画「きけわだつみのこえ」のロケ地だという話を聞きましたが、その映画を見ていないのでなんとも確証がないのですが、「馬渡橋」のあたりは確かに昔の赴きが漂う場所でした。画像のヤブの向こうには、平八稲荷がありましたが、これは移設されています。都田川が氾濫しそうになると、平八翁が川の側の榎の木に登って村人達に避難するよう教え、水害から救ったという言い伝えが残されています。

この前、里の家のオーナーさんと話している時に、昭和49年7月の七夕豪雨のすごさを聞きました。10ヶ所も堤防が決壊した七夕豪雨。里の家のまめっちょの畑のところまで水が来たらしく、もちろん水田は水没。7月だから田植は終わっています。全滅した田んぼを目の前にした地域の人たちは呆然としたはずです。

都田川の中流・下流では度々、水害に見舞われたとの記録があり、昭和43年4月農地防災ダム事業計画が採択され、昭和61年に都田川ダムが完成しています。ダムは地域の悲願だったのかも知れません。馬渡橋のあたりはS字に蛇行していて、堤防が決壊し氾濫しやすい場所だったのでしょう、川の流れをまっすぐにして、その周辺を平らな農地にする工事が進められました。「馬渡橋」もなくなってしまいました。今から思うと、その木材をもらえば良かった・・。

いつも、お世話になっている「マルモ森下材木店」さんから、大正時代、都田川で水車製材をしていたと聞きました。その頃は水量も多かったということです。大正から昭和初期にかけて人力や水力を使った機械が発明されていたので、水車を動力にして製材をする発想は自然の成りゆきだったのだと思います。世界のトヨタの基礎となった豊田自動織機も大正時代。株式会社豊田自動織機として今も存続しています。

風景はいろいろな理由で変わっていきます。「馬渡橋」とホタルたちは人間の暮らしの安全と農の安心のためになくなりました。しかし、ダムには日々、土砂が溜り、いずれ貯水機能が失われてしまいます。土砂をかき出して運搬するためには莫大に費用がかかります。何かをモノつくると、必ずメンテナンスが必要になります。ダムの弊害もあります。都田川の水量が減ると浜名湖へ注ぐ淡水が減る=海水が入りやすくなり塩分濃度があがって浜名湖の生態系に影響が出る・・。

たぶん、風景を守ることは自然の利にかなっていて、風景をできるだけ変えずに治水などができる土木技術が求められてのではと、ふつふつと考えていました。そのキーワードはローテクなんだろうなとも。ローテクからハイテクへ転換するのではなく、ローテクはローテクとして残しつつハイテクを活用していく。そんなミニモデルを自然学校で実現できたら、きっと気持ちがすっきりして清々しい暮らしができるんだろうなと思います。自然に暮らす、自然と暮らす模索は続いています。

「マルモ森下材木店」
http://www4.tokai.or.jp/marumo/100.html

都田の馬渡橋
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[ 2010/03/28 21:27 ] 四季の風景 | TB(0) | CM(2)
都田の木橋
はじめまして。ジョニーと申します。
今年5月に12年ぶりに浜北に帰ってきました。
自分にとって上の画像の場所は想い出の場所だったので、記憶をたどって現地に何度か出向き探したのですがどうしても見つからず途方に暮れていました。
馬渡橋付近をぐるぐる回っていたのですが、それらしい場所はなく、まさかここじゃないよなと思っていましたが、記事を読んでわかりました。

昔の橋はなくなってしまったのですね・・・・残念です。

貴重な写真を拝見させていただきありがとうございました。
[ 2010/09/21 20:32 ] [ 編集 ]
Re: 都田の木橋
あの橋は蛍で有名な場所で、毎年、蛍を見にいっていました。珍しいヒメボタルもいました。たぶん、まちおこしのひとつの材料となるような木橋だったと思います。以前あった七夕豪雨で都田地域でかなりの被害があったらしく、護岸工事をして河道を変える治水が求められていました。残念ですが、地元にとっては必要な工事だったのだと理解しています。

あの橋でいつも思い出すのは、イタリアの片田舎での話。おじいさんが青年の孫に古い石橋の上でこんな風に語るのです。
「その好きな女に子に告白するなら、この橋の上でするといい。おじいさんは、ここで告白してうまくいった。そう、おばあさんにここで打ち明けたんだ」

思い出は風景と共に生きています。その風景がなくなってしまうと、人々の中から大切に思い出や記憶もなくなっていくような気がしています。かつてあった建物や風景はいったんなくなってしまうと思い出すことができない、そんな経験を何度もしてきました。僕はノスタルジーだと簡単に片付けられません。急な開発は、気づかないうちに人の心から大切なものを奪ってしまうのではないか、そんな思いにかられたこともあり、僕は都市計画のコンサルタントを辞めました。

病気を抱えた仲間の女性と、蛍を見にいったことがありました。その翌年、ささやかな光を残して、この世を去りました。なくなってしまった仲間、なくなってしまった木橋、いなくなってしまったヒメボタル、それが蛍の季節になる度にひとかたまりの感情とともに思い出されます。
[ 2010/09/25 23:31 ] [ 編集 ]
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