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遠州浜松「里の家」里山の暮らし

浜松市北区都田町の里山に魅せられて、森と田んぼと畑のある里山、築120年の古民家で暮らし、みやこだ自然学校をしています。
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■日本の向かうべき針路へ舵を切れ

電力が不足するという話がでる度に「本当にそんなに電気が必要なのか」という疑問がふつふつと沸いてくる。この問題は、単に自販機がどうとか、自然エネルギーがどうとかだけでなく、都市のあり方、社会のあり方自体にそもそもの課題がある。原発は不確定な自然災害に脆弱で、火力発電はいずれ石油がなくなれば採算が合わなくなる、そうしたリスクの上に現代社会が成り立っている。石油や原子力の現代という時代は、100年、1万年の単位でみれば、「狂気の時代」だったと未来の人々は定義付けるかも知れない。

【本題に入る前に】
今、浜岡原発で語られているのは東海、南海、東南海が連動した地震とそれに伴う津波への対策が十分なのかということ。想定以上の津波が発生するのではないかという懸念だ。今回の震災の甚大さからそこにフォーカスされるのも無理はないことだ。東海、南海、東南海地震と連動した富士山の噴火が1707年と1435年に起きている。1707年、宝永地震がありその49日後に宝永の大噴火が発生し、江戸の街を火山灰で被いつくした。宝永の大噴火の際は、静岡大学の小山真人氏(防災総合センター)によると「噴火初日(12 月 16 日)午後の噴煙柱高度を 15.2km、噴火期間全体の平均高度を 10.8km と推定」されており、偏西風で東に流され江戸まで到達した。

東海、南海、東南海地震は大動脈である東海道を寸断させる。富士山が噴火すれば首都機能が麻痺することはほぼ間違いない。東西からの支援、特に東からの支援が困難となる。火山灰の影響で電子機器、航空機の使用が難しくなる。船舶も甲板に積もった灰を取り除く必要がある。そのままにしておくと、重さで沈没する船舶も出てくるだろう。火砕流により富士山裾野の森林は長い時間をかけて焼き尽くされ、そのじん媒の影響もあるだろう。熱により万年雪が溶け土石流などの心配もあるかも知れない。新燃岳の噴火では直径4cmから6cmの小さな噴石が火口から7 km付近まで達するものもあった。どの程度の範囲になるのかは分からないが、こられのことから当然、避難地域の設定がなされるだろう。

浜岡原発で何らかのトラブルが発生したとしても、援助を得られない空白期間が数日、または数週間続くことが予測される。浜岡原発は運転を停止したが冷却プールでトラブルが起きる可能性を指摘するひともいる。太平洋沿岸の東西交通は発達しているが、南北の交通整備は後回しになってきた。南北交通も地震による土砂崩れなどの影響で、使えない可能性もある。つまり、西も東も北からも援助を受けられない孤立無援の状態でトラブルの対処が十分に可能なのか、最悪のシナリオの場合を想定すると、リスクマネジメントに疑問が残る。


【1.自然と離れた生活になればなるほど、エネルギーを消費する】
都市は資本の集中によって形成されてきた。資本とは金・人・土地だ。平野部に都市が形成されるのは世界共通で、多くは河川が運んだ土砂でできた三角州だ。農耕がしやすいため、都市ができる。日本の場合、縄文の人々は森とともに生きていたため、平野部に縄文の遺跡は少ない。海水面が温暖化の影響で氷河などが溶け海面が上がっていたことも理由のひとつだ。水田を行う弥生時代、平野部に規模の大きい集落が形成された。というのが都市形成の僕の一般的な理解だ。都市に人が集まると金も集まる。するとビジネスチャンスの多い土地の価値が高まり、高層化することで土地を広げる。そしてさらに集中が加速する。これが資本の集中だ。当然、自然が失われる結果となる。自然エネルギーからも遠ざかる結果、多くのエネルギーを外部から頼ることとなる。それが化石燃料と原子力だった。化石燃料は再生が不可能なエネルギーで、二酸化炭素の排出量は少ないものの原子力もまた再生不可能なエネルギーだ。

交通のため道は舗装され、建物のために森は削られてきた。土や植物の葉から蒸発する水分の気化熱もないため夏になると熱をアスファルトが吸収し、輻射熱を放出するため地表面は気温よりも数段高くなる上、夜間に放熱するため熱帯夜となる。車のガソリンを燃やした熱も排気ガスとともに放出されている。クーラーが必需品となり、さらに放熱する。いわゆるヒートアイランド現象の悪循環だ。ヒートアイランド現象は僕が高校生の時、およそ30年前にすでに言われていた。これらは集中が招く悪循環だ。温暖化の影響もいぶかる声もちらほらあるが、27歳に北海道で有機農業の農家でお世話になってから、これまでずっと土と関わってきたが、やはり気候がおかしくなっているとの実感としてある。都市部の熱波による被害はここ数年、拡大している。2003年、ヨーロッパでは5万2千人以上の死者を出した。昨年2010年も熱波が米国東部やヨーロッパ南部でも記録的な猛暑だった。日本でも米が不作となり、海水温が上昇し漁業に大きな影響を与えた。高温になるということは水蒸気量が増えることを意味し、そのため洪水も多かった。この最中にも、アメリカで竜巻の被害がニュースで流れた。オーストラリアの洪水も記憶に新しい。大気が不安定になる傾向は、依然、続いている。

都市はこうした洪水や熱波、地震や津波といった自然災害に脆弱で、都市に集中すればするほど外部からのエネルギー依存が高まり、寸断されると機能が停止してしまう。経済を優先すればするほど、都市部の自然災害、温暖化のリスクが高まり、都市に資本が集中すればするほどリスクが高くなる。リスクを回避するために、社会資本の整備や維持にお金を注ぎ込まなければならなくなる。

都市は様々なものを消費し、膨大なゴミを発生させている。そのゴミを処理するために、3Rの取組みなどが行われている。そのために膨大なエネルギーをまた消費している。新たな資源やエネルギーを得るために、それ以上の資源やエネルギーを投入するのは、根本的な解決にならない。地球で暮らす以上、循環型社会の本質は、ゴミが発生しない完全な自然循環に近づけることであり、その方法以外にベストな方法は有り得ない。現在の都市は、その点でヒューマン・スケールを遥かに超えている。人間の社会システムでは、自然と人間のつながり、自然と自然のつながり、人間と物のつながり、人間と人間のつながりなど、あらゆる循環=つながりが絶たれている。都市計画も岐路に立たされている。このまま資本の力によって都市を無秩序に放置しておくのか、それとも、誘導政策やある一定の規制などにより、緑と風の田園都市へと舵を切るのか、今後、「百年の計」を打ち立てるべき時期に来ている。

都市の人口を分散させるためには、地方へと誘導する必要がある。里山が残る都市近郊や中山間地地域で小さな自然循環を回復させ、そこに人間らしい暮らしと文化、コミュニティが醸成されるなら、人口の定住化を促進することができるだろう。地方の人口がある一定のポテンシャルに達する時、地方が抱える様々な問題は解決していくと考えている。かつて、高度成長期に、政治・経済が大都市へ人口を誘導した結果が現代日本の矛盾の根源的な原因となっているからだ。


【2.自然エネルギーは直接利用が最も効率が良い】
自然エネルギーの代表格と言えば、ソーラーパネルと答える人は多いかも知れない。ソーラーパネルのコストを下げて普及する提案が政府から提示された。しかし、それ以前に自然エネルギーを一次的に使う方法がある。太陽熱と木、水力の地産地消的利用だ。エネルギーの地産地消が重要なのは、環境問題や安全性だけではない。今年3月1日、国際エネルギー機関(IEA)は、9000億ドル(約73兆7000億円)になるとの見解を示した。震災前の予測なので、火力発電を再稼動させ稼働率を高めるなどの動きを考慮すると、この額では済まなくなる。単純に国民ひとり当たりに換算すると、年間に約6万円を海外の石油産出国へ支払っている計算になる。平成22年度の日本の国家予算は、215兆円656億円であり、比較するとその額の大きさが分かる。できるだけ自然エネルギーの一次利用で賄い、国内・地域でお金を回すことは、日本経済・地域経済の活性化につながる。すべてのエネルギーを地産地消することは難しいとしても、目標値を設定し、有効な政策を打ち出すことは可能だと思われる。

火力発電は水を沸騰させて蒸気タービンで発電機を回す仕組みになっている。天候に左右されるが太陽熱で水を余熱するだけでも効率は高まる。家庭の温水は基本を太陽熱にするだけで、同様に効率を高めることができる。工場やオフィスの給湯や暖房にも太陽熱利用をベースとするだけで、燃料コストを軽減することができる。太陽熱パネルは真空式、反射式などがあり高効率化を図ることができる。ソーラーパネルよりもイニシャルコストがかからないのも、メリットだ。皮肉にも温暖化が進めば進むほど、太陽熱利用は有利となる。

薪の利用はストーブや暖房やかまどがある。京都ではかまどのことを「おくどさん」と呼び、見直す動きがある。日本のかまどは効率が高く、その技術を応用して途上国での普及が進められている。薪釜で炊いた経験のあるひとは実感として分かると思うが、米一合分の薪は500mlのペットボトルくらいの大きさで十分、足りる。欧米で発達した薪ストーブは完成度が高く、燃焼効率は75%程度で、中には80%を超える製品もある。技術的には成熟の域に達している。薪の確保には林業の再生、里山の再生が不可欠だが、その件については別の項で詳しく考察したい。

水力発電の分野では小水力発電を推進する自治体も出てきた。日本は森に恵まれ、水田のための水路網などのインフラがすでにあり、小水力発電を行う条件が整っている。国内の水路総延長は約40万kmで地球約10周分の長さに匹敵する。水田は梅雨前に田植えの時期から成長期の夏に水を多く必要とする。電力もまた夏場に需要が高まる。水力発電が有利なのは、ソーラーや風力と比較して発電が安定していることだ。条件に適合する水路を調査し、条件の合致する水路に設置することは、今からでもできる。現在、コストの高い小水力発電システムも量産化することでコストダウンを図ることが可能になる。設置だけでなくメンテナンスも当然、必要となり新しい雇用を生み出す。

ソーラーパネルの利用は、休耕田に設置する提案されている。ただし、貯水機能を維持しながら排水システムも構築が必要だと考えている。単純に、草刈りを省力化するために単純発想で防水シートを敷設すると水害をもたしかねない。随所に水路が巡らされたインカの遺跡「マチュピチュ」のように、水害を防止しなければならない。ソーラーパネルの集団的設置で有利なのは直流で送電ができる点だ。送電を交流から直流にすれば、効率が50倍になり、損失が格段に少なくなる。雪国でのソーラーの利用は積雪のため不利とされてきた。雪の太陽の反射率はかなり高く、新雪だと90%反射し古雪でも反射率は50%程度もある。ソーラーパネルは屋根に設置するのが一般的だが、その施工が不十分だと雨漏りの原因となる。実際にそうしたクレームも聞かれる。屋根に設置するのではなく、別構造体として積雪のある冬期は、ソーラーパネルを垂直にすることで雪害を防ぎ、雪の反射も利用して発電することが可能となる。ソーラーパネルは約30度の角度で固定されるのが一般的だが、可動式なら太陽高度の角度に合わせられ、効率を上げることができる。


【3.水を輸出し、森林を再生する】
「日本は資源のない国だから、工業製品を輸出する」論理で工業化を推進してきた。しかし水道水を加熱せずに飲める国は少ない。日本は豊かな森林資源により、水資源が豊富な国だ。富士山の伏流水をはじめ、森林の縁辺では「名水」と呼ばれる湧水がある。森林の荒廃や地震、地下水の汲み上げなどの影響で水量が減った「名水」もあるが、日本の湧水の多くは枯れることなく、絶えず出ている。これこそが日本の資源だ。20205年の市場規模が現在の約1.7倍の100兆円との予測もある一方、欧米に比べ日本の水ビジネスはこれまで、遅れていていた。それが近年、活発になってきている。2009年には、国内民間企業が水資源ビジネスを輸出産業に育成するための連合体を形成している。2010年には、輸入した製鉄用石炭の帰りの船便を使いオーストラリアへ農業用水・工業用水として輸出する実験が行われた。他にも中東産油国へ供給するなどの動きがある。

気候変動により大気が不安定になり、ある時は洪水、ある時は干ばつになるなど、気候が極端になる傾向がある。温暖化による蒸発量の増加、地下水の枯渇、森林の減少による保水能力の低下などの理由から、今後、世界的な規模で水不足を懸念する声やデータは多い。すでに、2000年に発表された国連の統計では10億人が安全な飲み水が不足しているという。人口増加で必要な食糧を生産するためのダムと農業用水が増え、下流の水量が減ることにより引き起こされる「水戦争」も現実的な問題となってきた。地球は確かに水の惑星だが、淡水で利用できる水は全水資源の0.001%しかない。元々、貴重なのだ。

先のオーストラリアや中東産油国への輸出する水は処理された下水の浄化水で主に農業用水・工業用水として利用される。注目したいのは、ミネラルウォーターだ。海外のミネラルウォーターは高価だが、日本のミネラルウォーターは安価であり豊富であること、日本の水の評価が高いことなどから、十分にニーズと国際競争力がある。人間の生命活動不可欠な清潔でミネラルの豊富な水、人間の生命維持に必要な食糧を生産する水は今後、有望なビジネスとなり得る。輸入大国からの脱却を図る上で輸出にも力を入れるべきだ。

ミネラルウォーターの国内生産量は2010年で約1619億円だった。ここ最近は、不況の影響か生産量が横ばいとなっている。国産ミネラルウォーターの輸出について調べたが、最近のデータは見当たらなかった。
近畿大学農学部八丁氏の「水資源と世界の穀物生産」によると、日本の水輸出は576キロ・リットル(2001)、(財)和歌山社会経済研究所の平成14年度「地下水保存に関する検討」によると「日本から海外への輸出量は国内生産量のわずか0.05%にすぎない」としている。いずれの数字も驚くほど低い。

近年、海外資本が日本の森林を買いあさるという記事が目に付くようになった。当初、目的がはっきりしなかったが、水源林を含む森林もあることなどから、森林が生み出す水資源が狙いだという。日本の水資源の価値を海外から教えられる結果となった。彼らが森林整備を行うかどうかは不透明で、森林が荒廃するとの懸念も生まれている。

森林整備・森林再生については、これまで有効な仕組みがなかったというのが現実だ。ミネラルウォーターを輸出し、その利益を森林に還元することで、将来に渡り水資源を確保すると同時に、水害を減らすことで復旧費などを軽減することができる。中山間地で、殺菌処理やボトリングの工場と森林整備、運送など新たな雇用を生み出すことにもなる。ミネラルウォーターは必ずしもブランドである必要はなく、中国、中東などで広がっている貧富の格差で生まれている多くの低所得者層にできるだけ安価で安全なミネラルウォーターを供給することが重要だ。それが感染病の予防となり、日本への飛び火を防止することにつながる。日本の水は世界の健康に貢献できる。


【4.「つくる・なおす・手をいれる」生活への転換】
母親の口癖は「安物買いの銭絶やし」だったが、使い捨ての商品が蔓延して、「直すよりも買う方が安い」という会話も度々、聞かれる。いつの間にか、新しい物や新しい技術が古いものよりもいいという消費者の「思い込み」が生まれたように思う。伝統的な技術などローテクを最大限に生かしつつハイテクを積み上げる発想に変えれば、コストやメンテナンス、効率を高めることができる。

年季の入った大工の道具を見せてもらったことがある。ノミは長年、砥石で砥がれて磨り減り、お好み焼き
で使う「こて」のような平面になっていた。織物も古くなったら、裂いて撚って横糸にして再び織る「裂き織り」の布にする。それが駄目になったら、雑巾にして使う。とにかく、一度作ったものは徹底的に使う。それが日本の「もったいない」文化だ。日本では、「のこぎりの目立て、鎌の砥ぎ」の看板が消えていくなど、リペア文化が失われてきたが、ヨーロッパでは、ブランド品は無償で修理をしてくれるなどのリペア文化が健在だ。そのため、職人が多い。傘の職人は傘を、靴職人は靴を、帽子職人は帽子を直すことができる。そうしたリペアの仕事が安定した雇用を生み出しているとも言える。ドイツのマイスター制度は有名だが、イタリアでも職人を復権させるなどしてブランドを守ってきた経緯がある。

日本の古民家の手入れとして、柿渋など伝統的な自然塗装がある。この作業は職人が行う場合もあるが、農家では自ら刷毛を持ち手入れをしてきた。白川郷では「結」と呼ばれる共同作業の習慣が残っていて、茅葺屋根の葺き替えを地域で協力して行っている。土壁は土を塗る下地”小舞竹”を編み、両側から藁を混ぜた土を塗り込んで壁としていく。この土壁づくりを体験したことがあるが、慣れれば誰でもできる。こうした伝統的な家づくり、メンテナンスには数百年、数千年の知恵が凝縮されており、実際に体験すると合理的であることが分かる。古民家など伝統工法で作られた家は増改築・リフォームしやすいのも特徴だ。

国内で「つくる・なおす・手をいれる」生活への転換を図ることで素材の輸入を減らすことができる。新素材の原料は輸入しているものが多い。日本の住宅は「木と土と紙でできている」と言われたように、元々、素材は地域にあったものが使われていた。生活用品や道具類は加工性に優れた竹から生産されていた。自然素材のものは、いずれ自然に還すことができる。しかし、紫外線で劣化したプラスチックは再生が難しいとの話を聞いたことがある。リサイクル処理をしたとしても、すべてが再生できるわけではなく、自治体の負担が大きくなる。

法隆寺は世界最古の木造建築とされているが、すべての木材が創建当時のものではない。痛んだり、腐ったりした部分は交換されてきた。昭和大修理の際、五重塔は3割程度が交換されている。法隆寺の昭和大修理を担当した西岡棟梁が「樹齢千年の木は、建築材として使ってもそれ以降、千年の命を持つ」と語ったように、木を生かす知恵と技は世界の中でもトップレベルと言える。

カスタマイズできる車として、旧モデルの「ミニ」が有名だ。サードパーティからカスタマイズ製品が数多く開発・販売されている。カスタマイズを可能にしたのは、ミニの基本設計が卓越しており、ほとんど変更されずに販売されてきたのが大きな背景だろう。木造建築でも、車でも、基本設計がしっかりしてれば、長く使うことができ、メンテナンスやカスタマイズがしやすくなる。資源を有効な使うこととなり、メンテナンスやカスタマイズに関連する雇用を増やすことにつながる。家や車など耐久消費財は、何度も買うものではなく、景気動向がシビアに影響する。しかし、必要不可欠なメンテナンスやカスタマイズの需要は続くだろう。重要なのは、新しい商品を矢継ぎ早に開発することではなく、国内の自然素材を生かした基本設計を成熟させ、高耐久で、メンテナンスやカスタマイズがしやすい商品を開発することだ。こうした企業姿勢は、ユーザーから評価されロングセラーになる可能性がある。


【5.簡単・便利・快適な生活で人は育たない】
仕事柄、企業のトップと話をする機会がある。この時、話題になるのが人材の問題。採用しても辞める人が多い、考えることができない、失敗することを恐れる、大胆な発想がないなど、悩みは尽きない。現代社会を俯瞰して、ここ百年くらいを見てみると、根本的なパラドックスに辿りつく。簡単・便利・快適な生活を送った子どもたちが、企業が求める創造的でバイタリティのある人材へ成長するはずがないということ。簡単・便利・快適な製品をつくればつくるほど、欲しい人材が少なくなるというパラドックスをどう解決するのかは、前述した自然エネルギーの直接利用、森林の再生、「つくる・なおす・手をいれる」生活である程度、解決できると考えている。ある程度の不便が工夫や創造を生み出し、力を合わせるコミュニティを育てる。その中で、コミュニケーション能力、問題解決能力が引き出されていくだろう。人は集団化することで個性が際立ち、集団や地域社会での役割が明確になっていく。居場所づくりでもあり、やりがい・生きがいにつながる。

第1稿 2011年6月6日 加藤正裕


■森林・里山から循環型社会を創造する
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[ 2011/06/06 12:43 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)