震災以後、ずっとコンディションが良くない。冷たい海にさらわれた子どもたちの恐れが僕の中の何かと同調してる。時に涙が止まらなくなる。ヒューマニズムとは無関係に災害はやってくる。
今回の震災で脳裏に浮かんだのは、「一万年の旅路」というネイティヴ・アメリカンの口承史による物語。著者のポーラ・ アンダーウッドはモンゴロイド系のイロコイ族の末裔で、最後の語り部だった。物語ははるか一万年以上も前、一族が長らく定住した場所が、大地震で地面が裂け、火山の噴火で石の雨が降り、大津波に襲われ、大半の人が死に絶えた。知恵を持つ人々を失った一族の生き残りは、50余名。安住の地を求めて旅を続け、まだ地続きだったベーリング海峡を渡り、アメリカ大陸の五大湖へとたどり着く。約1万年に渡る長い旅路だった。
「一万年の旅路」には様々な知恵が語られている。備えておくこと、目的を共有すること、分け合い分かち合うこと、局面での早い決断、小さき者の声を聞くこと、見通すことと現実に起こることは違うこと、自然の中で生きる命は対等であること・・・。一族は何かを決断する時、火を囲み話し合いをする。その火とは、目的であり意思の象徴であり、誰もがその話し合いのために薪という言葉をくべる。
かつての日本にも、モンゴロイド系の血が流れている。「一万年の旅路」に書かれていた物語の燐辺がどこかに残っているに違いない、僕はそう思って、60歳を過ぎたら、そうしたフィールド調査をしたいと思っていた。復興プランに、エネルギーの地産地消や安全に地に住まいを建てる職住分離などが盛り込まれていくのだろうと思う。ただ、その地域で目的や意思を共有し、誰もが薪をくべ、明るい希望という灯火になることを願っている。
建築学科で学び都市計画のコンサルタントを経験した。循環型社会のミニモデルをつくって体験するという環境教育のスタイルは確立した。これを地域レベルで応用したい。
共有する財産区の森を地域で管理し、木材や薪、山菜、キノコを得る。森が整備されると水が豊かになる。森が健康になれば海の幸も豊富になる。森から微生物が豊富な腐葉土を田畑に入れ土壌を豊かにする。有機栽培でもたい肥が多すぎれば、河川や海を富栄養化させてしまう。工業利用のボイラーは木質ペレットがある。ハイテクではなく、ローテクをベースして人の力を合わせることによって成立する地域。結局、ハイテクは電気がなければ無用の長物。災害には脆弱だ。それに、利便性が人と人の絆を希薄にしてきたことは否めない。そして、その利便性はお金によってもたられる。
みやこだ自然学校では、ほとんどの野良仕事をひとりでやっている。計算上は三人家族分に相当する田畑の面積がある。いろいろと工夫して、昨年は一日平均2時間程度だった。自給自足は難しくない。ひとりでもできるのだから、地域で森や田畑を管理できれば、もっと時間は少なくて済む。機械化もできる。共同作業が祭りとなり、マツリゴトになっていけば、自然に生かされ自然を生かすことができる。きっと生きている実感も生まれる。いろいろな知恵もつくられ語られ、継承されていく。
今回、亡くなった方や行方不明は2万人を超えるという。その一方で警察庁のまとめによると2010年の自殺者数は3万1560人。これで、このままで本当に100年も千年、一万年と旅を続けていけるのだろうか。復興プランに参画したい。世界が注目するくらいの循環型社会のモデルをつくりたい。そんな気持ちが高まっていて、心がざわついている。
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