遠州浜松「里の家」里山の暮らし

浜松市北区都田町の里山に魅せられて、森と田んぼと畑のある里山、築120年の古民家で暮らし、みやこだ自然学校をしています。
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「一万年の旅路」

この世でもっとも大切だと思う書物は何か、と問われたら迷わず「一万年の旅路」と答えるだろう。一万年の旅路 「The Walking Peple」を一言で表現するのはとても難しい。ネイティヴ・アメリカンの口承史なのだが、神話や伝説といった脚色は全くない。イロコイ族の史実がベースとなって、ひとがひとになるための学びを知恵として伝えきたものだ。

この「一万年の旅路」のリトリートを続けている方に昨日、会ってきた。3時間ほどだったが、自分自身のこと、中つ火とは何か、この学びをどう伝えていくか、などを語りあった。いくか再確認したこともあったし、ぼんやりしていたメソッドも輪郭が見えてきた。

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一族の旅は僕の中で続いてること、
失われた知恵でも、再び、再構築できる可能性があること、
「学び」が環であること、
「学び」の源泉は愛情や友愛であるこということ、
また愛情や友愛によって「学び」が深められていくこと。
「学び」は原生林でも東京でも生命の営みのあるところなら可能なこと。
そして、聴くためには間が必要なこと。

不思議だったのは、たった二人の中つ火でも、無垢の自分に還ったこと。
このところ、自分を見失っていた。
一族の思いと自分の思いがつながっている、
そして多くの人々、多くの命も同様なのだと・・
輪になって、環となる。

今、平穏な雨音が聞こえている。
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知恵が生まれる物語があって、それは困難であったり試練であったりするのだが、背景には必ず愛情や友愛、思いやりがある。例えば、ある娘は、歩く事がままならない母親のために豆の栽培を始める。進むべき道の判断を過り一族の同胞が犠牲になったことから生まれた知恵もある。災害で知恵ある者たちを多く亡くした時、身体障害を持つ子と母・・。悲しみや苦しみを子どもの子どもの子どもたちが再び味わうことのないように、知恵が受け継がれていく。そうした状況の度、一族は輪になり話し合い「合意」という中つ火にそれぞれが薪をくべていく。リーダーがいて、その決定に追従するのではなく、節度ある話し合いできちんと聞く耳を持って進められていく。知恵は歌となり口承で伝えられ、重層的になっていく。

自然学校を始めたのは、2005年の春。子どもたちの集団化を図ることを目的に2008年より会員制とし、今年度はまめっちょ・風の子で70組近くの家族が参加するようになった。その人数の食事を賄うために収量の計算をして田畑を開墾することにした。また、保存のできるじゃがいも・かぼちゃ・さつまいも・大豆などの作付けを増やした。その理由は「収穫できなければ、買うことになる」からではなく、子どもたちに食べさせたいから。

確かに、有機野菜や無農薬の米も買うことはできる。でも、子どもたちの食べている姿を見る度に、僕はこのフィールドでつくった米と野菜を食べさせたいと強く思い願う。食べさせたいから、作付け計画を何度も見直し、水田の水のコントロールについてあれこれ思索する。どういう農法がいいのか模索する。この気持ちは太古の昔から変わらず続いてきたと感じ、僕は「一万年の旅路」の一族とつながってる、そんな感覚が沸き起こった。

この「一万年の旅路」で語られている内容は、ひとがひとになるための真理が含まれている。ひとの家族、社会、世界、といったあらゆるレベルのコミュニティが平和であるための民主主義のセンスに溢れている。知恵をどう紡いでいくか、それは到底、僕個人でなせることではない。

一族が旅を続けながら、この壮大な物語をひとつひとつ加えて何世代にも渡り伝えてきたように、僕もまた旅を続けながら、知恵を紡いでいこうと思う。
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[ 2009/05/07 23:36 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)