遠州浜松「里の家」里山の暮らし

浜松市北区都田町の里山に魅せられて、森と田んぼと畑のある里山、築120年の古民家で暮らし、みやこだ自然学校をしています。
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新居町の紀伊国屋と冬の生業

新居町の紀伊国屋
協働の関係で新居町に視察に行った時のこと。新居町指定文化財に指定されている。新居宿の旅籠、紀伊国屋資料館を訪れた。明治30年までやっていたという。保存状態は良く、特にカマドと和紙の照明が気に入った。二階があることからも、明治に入ってからの建物だと分かる。江戸時代は、武家を上から見下ろす二階が禁止されていたからだ。街道筋では特に厳しかっただろう。カマドは昔の砂漆喰を固めたもの。焚き口は瓦で形が崩れないようになっていた。以前、引佐で見たものは煙突(煙出)がついたが、これはどうなのだろう。トタン板はない時代だし、竹では燃えてしまう。照明は和紙を円錐形に丸く丸めたもの。昔は菜種油を燃やしていたはず。障子に映える間接光が美しい。

僕が子どもの頃、在所の新居浜へ帰っていた。風呂はごえもん風呂。薪で焚いていた。たぶん、カマドでご飯を炊いていたような・・。文化カマドと言って、コンクリートの駆体にタイル張り。滝沢あそび村に使われずに野ざらしになってるいるものがそうだ。戦後になって普及したもので、煙突がある。全国各地で作られた。生活用具のほとんどは、地域ごとに職人がいて、現在のように大量生産・大量消費ではなかった。鍛冶屋があって包丁を研いでくれたり、鍬や鋤などの農具もオーダーメイドで作ってくれた。とうみや糸車、織機も細工の家具や建て具などの職人が作っていたと思う。里の家にあったとうみを修理したが、十分に働いてくれた。

顔の見える関係だったので、一度、売ったものは責任を持って修理をする。販売とメンテナンスを職人たちは生業としていた。すぐに壊れてしまうのを職人たちは嫌ったはず。高い腕がなれば信頼されないし、何よりプライドが許さないだろう。土壁にしても漆喰にしても、雨が少なく乾燥している冬の仕事。左官は冬が忙しかった。竹も秋口の新月前に伐採して、一年日陰で寝かせてから、蒸気で蒸したり煮たりして油抜きをしてから使うと長もちする。自然を利用するということは季節に仕事が左右されるということ。いいものを作ろうとすると、待たなければならない。

漬け物、味噌の仕込み、伐採、染め織り、和紙すきなど、手を使う作業は冬の生業だ。春・夏・秋と畑や田んぼが忙しい。農閑期にあたる冬が適している。漬け物にする野菜を夏から秋にかけて栽培する。味噌に使う大豆もそうだ。伐採は11月から1月の冬、和紙すきは冬の冷たい水で紙の繊維をさらして漂泊する。織り物も川の流れにさらして色を引き締める。畑・田んぼ・森の管理をしていると、おのずとそうなっていく。うまくできているというか、四季があることに感謝したい。
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[ 2009/03/02 02:29 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)