遠州浜松「里の家」里山の暮らし

浜松市北区都田町の里山に魅せられて、森と田んぼと畑のある里山、築120年の古民家で暮らし、みやこだ自然学校をしています。

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11月は森三昧その4

かじられた若木
リンドウ
引佐の広葉樹
29日(土)森林鑑定団リーダー参加
この日は引佐へ。これまで何度も訪れた奥山あたりの山だ。集合場所へ向かう途中、昼食中、帰り道と目立ったのは紅葉。春野、龍山、佐久間、水窪と低地で広葉樹を見ることはほとんどなかった。標高500m程度の春野の山の村からスーパー林道あたりを望むと人工林の多さに圧倒される。水窪もやはり、標高の低いところでは人工林が多い。里に近い引佐でどうして広葉樹が多いのか。

たぶん、石灰岩の岩石が多く植林に適さない場所が多かったのではないか。みかんの産地でもあることから、広葉樹を切ってパルプ材料とした後、みかんを広げたのではないか。この地域でも明治から大正にかけては養蚕が盛んだった。その頃は、みかんを抜いて桑を植えたという。みかんも養蚕も手間がかかる。みかんの出荷は12月頃まで、養蚕と田んぼをやっていれば暇がない。桑畑は手間がかかる。春、秋には桑摘みをし、秋から冬にかけて桑の株直し、冬には中耕。これでは、山仕事をしている時間はない。停滞した養蚕は桑畑をみかん畑に変えたのではないか。そうこうしている間に、林業が不振となり、山には手が付けられなかった広葉樹が残った・・。

みかんも養蚕もサイクルが短い。みかんは1年で現金となる。養蚕はもっと短い。山は杭にする間伐材がとれるようになるまで15年はかかる。こうした経済的背景があって、里に近い山で、産業のあった地域には広葉樹が残っている可能性がある。

森の中にはリンドウが咲き、ノウサギにかじられた若木。これも自然なのだと感じた。
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[ 2008/11/29 22:54 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

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