遠州浜松「里の家」里山の暮らし

浜松市北区都田町の里山に魅せられて、森と田んぼと畑のある里山、築120年の古民家で暮らし、みやこだ自然学校をしています。
月別アーカイブ  [ 2008年03月 ] 

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命の循環

先日、木曜日と金曜日、バードピアの「春の宝さがしビンゴ」のサポートだった。それはそれで良かったのだが、おじさんが僕に近付いてきて、名札を見ていた。何かなと思っていたら「同姓同名の友達がこの前、亡くなった。あなたもぽっくりいかなように気をつけて」と。普通なら、失礼だと感じるのかも知れない。僕は、ちをょっとした違和感は感じたが、失礼なひとだとは思わなかった。おじさんなりの気づかいなのだろう。

ぽっくり逝けるなら、その方がいい。森の中でぽっくり、というのが一番いい。多くの動物は死ねば、他の命をつなぐ糧となるが、人間は焼かれてしまう。僕は焼かれるぐらいなら、他の命の糧になりたい。ヒグマに襲われるのはさすがに恐いが、ぽっくり逝った後なら構わないと思っている。

どんな命も等しく、有り難い。最近、ぼかしやたい肥を作っているが、ほかほかと温かい。もちろん、発酵している時だけだが、この中で微生物が分解してくれているんだなと感じる。微生物の体温ってあるのかどうか分からないけれど、発酵の温もりを体温のように気がする。せわしなく働く微生物を僕は想像して、有り難いなと感じる。微生物の命はとても短い。微生物が生と死を繰り返して、いいぼかしやいいたい肥が出来上がる


そうした命の循環はいたろところにあるが、人がそのすべてを理解し実感しているわけではない。川苔を食べた鮎が出したうんちはどんな旅をしているのか、カケスが運んだコナラのどんくりはどのくらい発芽するのか、傷つき腐った杉がシロアリにどれだけ食べられているのか、子どもが野原で遊んで服についたアメリカセンダングサの種の行方は?

そう、僕もその命の循環の中にいたいと感じているから、自然と生き、自然に生きたいと願うのだろう。
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[ 2008/03/30 02:38 ] 四季の風景 | TB(0) | CM(0)

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