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遠州浜松「里の家」里山の暮らし

浜松市北区都田町の里山に魅せられて、森と田んぼと畑のある里山、築120年の古民家で暮らし、みやこだ自然学校をしています。

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子ども合宿の苦い経験

去年の秋頃、みやこだ自然学校にクレームが入った。滝沢あそび村のオーナーからだった。「となりの田んぼに石がたくさんある。子どもたちが投げたのではないか」というものだった。最初はそんなことはないんじゃないか、と思っていたが、とにかく石拾いをした。去年の夏の子ども合宿でとなりの田んぼで遊んでいた子どもたちの姿が目に浮かんだ。もしやと思い、いろいろと聞いてみると石を投げている子どもがいたらしいことが分かった。去年の夏の子ども合宿は参加者36人中、10人が初参加だった。滅多に来ない参加者を含めると15人。

田んぼはお米をつくる場所。いつだったか石を投げようとしている子どもに注意をすると「どうしてダメなの?」という返事。「ここはお米をつくっている。石を投げると機械が傷むし、田んぼに入るとき石で痛いじゃん」と答えたが、どうも納得していない様子。「ごはんに石を入れるようなものだよ」というと、「ごはんに石なんか入ってない」というし。「自分の家の庭やベランダに石を投げられたらどういう気持ちがする?」と言えば良かったのか・・。本質は人様に迷惑をかけないこと、そして食べ物を大切にする感覚。それがどうも薄い。逆にそうだから、自然学校の意味もあるんだけど。

最近、キャンプ場も様変わりしていて、安全・快適・便利になってきている。それで、自然と親しむ?電源はもちろん、テレビの端子もついている。電子レンジを貸し出しているところもある。お父さんは新聞を読み、お母さんは携帯メール、子どもはゲーム。買ってきたレトルトや弁当、肉たっぷりのバーベキュー。それで一家団らん?勘弁してもらいたい。非日常のイベントなら他でやってもらいたい。深夜まで飲んで騒いでいるグループ、就寝しているキャンパーがいるのに花火。翌朝はゴミだらけ。日本人っていつから、こんなにマナーが悪くなったんだろう。そういう非常識な連中のいる場所で、キャンプはしたくない。安全・快適・便利なキャンプ場ほど、そういう傾向が大きくなる。

鷲沢風穴のキャンプ場はトイレこそ水洗だが、人気がない。人気がないから貸しきりにできる。貸しきりにできれば、他のキャンパーに迷惑をかけることもないし、かけられることもない。洞くつ探検のできる鷲沢風穴、売店・受付と使い放題の名水、川遊びのできる清流があるぐらいだ。しかし、水とトイレと自然、畑と水田(米)、森があれば生活はできる。キャンプサイトも整備させていないから自分たちでやる。カマドもないから、自分たちで石を運び作る。キャンプは生活をつくる場だと僕は考えている。不便だからこそ、仲間と一緒に工夫したり考えたりしながら生活を作っていく。不便だからこそ、生きる力、逞しさを養うことができ、子どもたちが変わっていく。きらきらした子どもたちの瞳が見たくて僕は子どもたちとキャンプをしてきた。学生時代から子どものためのキャンプをやってきたが、その実感は変わらない。

しかし、風呂なしではアトピーの子どもや幼児さんは辛いだろうから、車で15分で行ける「あらたまの湯」に行くようにしようかと考えている。タイミングは入場は20時だから、19時頃出発。帰りの車の中では寝てしまうだろう。

去年の夏の子ども合宿で初参加だった家族はリピーターにはならなかった。定員割れで参加できなかったあるひとは「来年はゲットしたいと思います!」とか言っていたし、申し込みでは「合宿のイベントに参加します!」とも。動機は様々だろうけど、こちらの目的や狙いは理解した上で申し込みをしてほしい。安いからという理由で申し込みが多かったような気がする。みやこだ自然学校の名前を決める時、“楽校”という字を使ったらという仲間の意見もあった。しかし、僕は“学校”にこだわった。環境教育という教育の場だからだ。かつて子どもたちは働き者だった。働くことをいかに遊びとしてできるか。それがみやこだ自然学校のプログラムづくりの真骨頂だと思っている。田んぼの泥んこ遊びは、代かきの代わりだし、泥投げは田んぼの土を平らにするために必要だった。子どもたちにとっては遊びだが、大切な作業だった。

幼稚園・保育園、小学校、中学校で循環型社会のモデルを体験=生活する授業をやってくれるのなら、僕はみやこだ自然学校を辞める。森づくりに専念して、道をつくり、間伐し、苗木を育て、植林し、巣箱をかけ、餌台を設置する。

今の時代、真面目すぎる?しかし、誰が何と言おうと、信念は変わらない。信念がなければこんな面倒な事、していない。休日は自転車で好きなサイクリングして、いい風景に出会えばカメラのシャッターを切り、お気に入りの喫茶店でスケッチをしたり、湖畔の森の中でハンモックで横になり、ギターで作曲したり、旅先の民宿で論文や小説・童話を書いているはずだ。東京に好きな展覧会やミュージカルがあれば行き、木製カヌーをつくる男がいれば会いに行き、民芸作品や民俗芸能を訪ねるだろう。みやこだ自然学校を始める時、一泊の旅のようなささやかな楽しみ以外、そうしたプライベートの楽しみや探究はできなくなると覚悟していた。それでも僕は十分、満足しているし、自分のやるべきミッションをしていると感じている。
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[ 2007/06/29 00:59 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

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