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遠州浜松「里の家」里山の暮らし

浜松市北区都田町の里山に魅せられて、森と田んぼと畑のある里山、築120年の古民家で暮らし、みやこだ自然学校をしています。

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子どもたちのお父さんになること

2月最後の日曜日に今年度、最後の活動が終った。何とか畑で収穫できるようになり、森も遊び場らしくなってきて、ふぅ・・長かった。

建築学科を卒業した僕は都市計画コンサルタントに就職するも激務ためを辞めて、旅をした。その旅先の北海道で有機農業の農家にお世話になったのは26才。はじめて人間らしい自然な暮らしをして心も身体も健康になった。それから漠然と農家民宿みたいのをやりながら、自然体験ができるといいなと思ってた。今、46才だからかれこれ20年かかっていることになる。

農家だけではやっていけないと思い、物書きを目指して東京へ出た。昼間は環境コンサルタント、夜は文学教室へ通い、その後、名古屋に戻ってバイトのかたわら論文やら童話、小説、シナリオを手掛け公募ガイドを見ては応募して。しかし、話、小説、シナリオはせいぜい入選止まり。論文は優秀賞をとったもののこれでは食えない。

浜松の有機農業の農家でスタッフを募集していることを中部リサイクルのひとから情報を得て、浜松へ。しかし、来る前の条件と違っていたり、営利主義ぽいやり方がそりに合わず数カ月で辞めることに。

30才までは好きなことをやろうと思っていたので、次は陶芸をやりたかった。母親の障害者施設に陶芸窯があって、学生時代に時々お邪魔してやらせてもらっていた。浜松に設計を手伝ってくれるなら一日陶芸を好きにやっていいという人がいて、一年お世話になった。浜松を出ようかとも思っていたので、他にいい条件のところがあったら浜松にはいなかったかも知れない。

将来、どんな道へ進むのかは分からないけれど、自営で食って行くことは決めていたので、会計事務所へ。3年のつもりが5年もいることに。おかげで確定申告や会計、科目には強くなった。助成金の申請とかも抵抗なくできるのも、この時の経験があるからかも知れない。

結婚した後、会計事務所を辞めて自営の道を模索。田舎の一軒家もこの時、集中的に探すけれど結局、なかった。きっかけは忘れたけれど、コピーライターの仕事ができそうだと思い、広告代理店に飛び込み営業したところ、いけるんじゃない、ということでこの世界へ。しばらくは仕事の虫で徹夜も当たり前の状態で、借りていた畑もあまりできなくて。こうなるとストレスがたまってきてしまう・・。仕事のストレスではなく、自分の思う生活ができないことへのストレス。

ネットで検索している時に清里にあるキープ協会のインタープリターズキャンプを知る。2拍3日の環境教育指導者養成講座に参加して、探し求めていたものを見つけることができた。自然・環境・子どものキーワードがぴったりとはまった。2001年の5月の連休だった。同年、11月には環境教育プログラム体験の講座を静岡県の依託事業として行った。NPOの中にRETというチームをつくり、プログラムづくりできる人材の育成と地域でのプログラムの可能性を追求するため、2002年11月から積志地区で開放教室「土曜楽校」を開始。2005年3月までに41回のプログラムを実施した。2005年4月からフィールドを都田に移し、自然保育と自然学校を開始。一年で45回を開催。この他、伊豆や引佐でひとづくりの講師をしたり、ジャスコのエコクラブのサポーター、浜松市エコスクールなどをやってきた。今年度の自然学校は34回だったから、2001年の11月から数えると150回くらいやってきたことになる。

その一方で結婚した相手がどうも生き方が違うらしいと気付き、かなり悩んだ。結局、自分に嘘をついて生きることが自分にとっても相手にとっても、子どもたちにとっても良くないと決断して3年前に離婚。この別々に暮らすスタイルは思ったよりもしんどいことではなかった。しかし、相手が再婚するとなると途端に複雑になる。2005年の夏、精神的にかなりまいって、髄膜炎で入院するはめになった。

それから立ち直ったから、今年度の活動があった。まだまだ課題は多いが道は見えてきた。たぶん、こんな自然学校やらなの花クラブの役員、幼児サークル「まめっちょ」やエコクラブのサポート、ほとんどボランティアの「川や湖をきれいにする市民会議」や少年少女センターはままつのHP作成、都田・鷲沢・滝沢ふるさと夢mi隊のお月見コンサート、趣味の劇団からっかぜの活動などに興味を持つことなく仕事1本でやっていたら、離婚することもなく普通の家庭で普通の父親だったことだろう。

離婚してもこうした活動をして子どもに体験してもらうことと、仕事漬けで日曜日は疲れて寝ていることと、どちらが父親らしいのか。僕は前者を選んだ。離婚していなければ理解し合えないストレスで自然学校はできなかっただろうし、たぶん途中で辞めていたと思う。天命があるとすれば、「お前は離婚してその分、時間がある。だから、多くの子どもたちの父親として自然学校を豊かにしていけ」ということなのだろう。時々、漠然と「どうして、しんどいことをお前はやっているのか」と自問自答することがある。周りを見渡しても、40代の男性で社会的な活動に取り組んでいる人は少ない。多くは大抵、仕事か自分の趣味に一生懸命だ。自問自答の答えはいつもこうだ。「自分の命、自分の人生を全うしたいから」。すべての命は自分と他の命のためにある。生命力のある命は、他の命に生命力を与える。だから、自分の生命力が高まることは自分のためになるし、他の命のためにもなる。だから、自分の心と身体が健康であることは自分のためになるし、他の命のためにもなる。それが真理だと僕は思うから。

ひとりひとりができることを最大限に持続的に続ければ、この世界は光がさしてくるはず。自然学校に来ている子どもたちが、自分のためだけに人生と命を使うのではなく、人と自然のために生きるようになってほしいと願って、50才になるまでは続けたいと思う。僕の子どもの名前は、なつみと大樹。なつみは七海という意味。海を守るひとになって欲しいと名付けた。大樹の名前は北欧の世界樹の伝説、イグドラジル(ユグドラシル)九つの世界を支える根を持つ巨大な樹から。この世界が樹によって支えられているというのは、比喩的な意味で正しい。森を守るひとになって欲しいと名付けた。ふたりとも有名にならなくてもいい、金持ちにならなくてもいい。研究者でもカメラマンでも方法は問わない。信念を持って日本だけでなく、世界で活動してほしい。

こういうことを語るひとが少なくなったような・・暑苦しい?
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[ 2007/02/28 22:25 ] 生き方と命 | TB(0) | CM(2)

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