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遠州浜松「里の家」里山の暮らし

浜松市北区都田町の里山に魅せられて、森と田んぼと畑のある里山、築120年の古民家で暮らし、みやこだ自然学校をしています。
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マイノリティ

マイノリティとは少数派とか少数民族という意味。僕のようにNPOや市民活動やらボランティアをやっている人は少数派と言える。 仕事も上にも下にも人を作らない、上下間系のない個人事業主というスタイル。仕事上のクライアントはいるが、付き合いのある企業は権威的でもごう慢でもなく、人として尊敬できる人たちばかりだ。こうしたスタンスで仕事をしている人もやはり少数派だ。多くの人は少数派でいることに不安を抱くらしい。何の不安もない、と言えば嘘になる。自営業は定期的な収入がある訳じゃない。仕事をしてもすぐに支払いがあるわけじゃない。それでも、自営だからこそある程度、自分で時間のやりくりができる。だから、畑仕事もできるし絵を描いたり、陶芸でろくろをまわかこともできる。演劇の作曲をしたり公募の論文や童話のチャレンジすることもできる。今の生き方が一番、自分らしいと感じている。

「自分でできることは自分でやりなさい」、母の口癖だった。努力もせず安易に頼らないようにと、子どもの頃からそう言われてきた。何かおもちゃが欲しい時も「よその家とうちの家は違う」と言って譲らなかった。逆に「しなさい」と言われた記憶もない。いつだったか、「勉強しなさいと言われればもっと勉強したかも・・」と思ったくらいだった。そうした躾が身体に染み付いていたのか、高校進学、大学進学も誰かに相談することなく、自分で決めた。小学校の頃から設計する人になりたかった。高校は目的もなく普通科に行くのが嫌で工業高校を選んだ。もちろん受験のための勉強は一切なく、自由にのびのびと過ごすことができた。建築の設備工業を選択していたが、やっていくうちに建築そのものに関心が高まった。推薦が受けられることになり大学へ進学、建築を学んだ。建築はとても面白く、幅広い分野に渡って興味を広げてくれた。建築そのものの本はもちろん、人間そのものに対する関心から教育学、心理学、民俗学、考古学。都市と農村の課題から、都市文化、農村・農業、交通などの社会学。この頃は週に1冊は専門書を読んでいた。

もうひとつ大切なことを学んだ。設計をすることの意味や手法だ。設計は英語でデザインと呼ばれる。計画も広い意味でデザインと呼ばれる。ちなみにデザインの語源は、ラテン語のDESIGNAREで絵画のデッサンも同じ語源。英語のデザインは日本で言われるデザインの他に、設計、意図・企画・計画という意味がある。プログラムは過程や構築するという意味。コンセプトからだんだん形にしていく作業は、あらゆる分野に応用できる。広告の仕事にしても、環境教育プログラムを考える時も、作曲や料理も僕の中では全く同じ感覚だ。

大学を卒業後、都市計画コンサルタントへ就職。激務のため心身ともにストレスがたまり1年で退社、北陸、九州、北海道と旅をした。そして北海道で有機農業の農家に夏から秋にかけてお世話になることになる。自分の人間性を取り戻す、まさに「死と再生」の経験だった。澄み切った空、漆黒の闇、流れる天の川、たくさんの野鳥、続く牧草地に雄大な積丹岳。毎日、新鮮な野菜を食べ体質も驚くほど変わった。他に自然体験で素晴らしかったのは北八ヶ岳の原生林。富士山麓の洞くつと巨木。マレーシアの透明な海、オーストラリアの大自然。

人とは違った体験や経験が豊富であればあるほど、たぶん、世間的にはマイノリティになっていくのだろう。学生時代に自信がある人だと言われたことがある。それまで、自信なんて考えたこともなかったので、どう返事をすればいいのか分からなかった。自信があるから、やっている訳じゃない。やりたいから、どうしたらできるのかとことん調べるし考える。一度、やりたいと思ったことはなかなか諦めない。心に一度、灯った火を消したくない。その火を消すのは社会でも他人でもない。自分しかあり得ない。僕はやっぱりマイノリティなんだと実感しているこの冬。
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[ 2006/12/30 05:20 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)