里山MOTHERでは、人材育成もテーマなっていて、このところのテーマだった。
最近、青年たちの抱えている課題が想像以上に重いものだと気づいて、半ば呆然としている自分がいる。
明治以降の海外偏重の価値観、捨ててきてしまった「にっぽん」の文化や伝統、慣習。
戦後の高度経済成長による都市化と核家族化、山村地域でのコミュニティの弱体化。
モノがあふれ、ごみもあふれ、自然が少なくなり、本物が少なくなった。
バブルの時にさらにそれが加速し、お金が幸せの条件かのような錯覚も生まれた。
バブル崩壊後の経済、労働派遣法のよる労働形態の変化、就職難。
国際的なテロ、環境問題、国際紛争、未曾有の自然災害、通貨危機。
こうした歴史の積み重ねの上に、重層的な矛盾が個人にのしかかっている。
この中で、どうやって希望を見出したらいいのか、もし僕が今、学生だとしたら不安で押しつぶされてしまうかもしれない。
2月11日(土)の電通、黒岩氏を招いての企画を考えていた。
コミュニケーション、そのテーマに辿り着いた時、思い出したの「サウンド・オブ・サイレンス」だった。
中学の友人がこの歌詞の深さを教えてくれて、ずいぶんと語り合った思い出がある。
一般的には、現代のコミュニケーションの欠如がテーマだとされている。(※1)
これに影響されて書いた自分の詩もある。(※2)
また、「知恵の三つ編み」という口承史の何千世代に渡り継承されてきたネイティブ・アメリカンの物語も思い出した。(※3)
サウンド・オブ・サイレンスでは、寝ている 時にビジョンが忍びより種を蒔いていったとある。
これは神の啓示とも受け取れる。その種の正体が何なのか探っていくと、様々な光景が見えてくる。
And in the naked light I saw (僕は見てしまった。裸電球の下で、)
Ten thousand people, maybe more (一万か、いやもっと多くの人が、)
People talking without speaking(口を動かすこともなく語っている姿や )
People hearing without listening (耳をそばだてることもなく聞いている姿や)
People writing songs that voices never share (歌われることもない歌を書いている姿を)
"Fools" said I, "You do not know (「馬鹿」って言うよ。君たちは何も分かっちゃいないのだ。)
Silence like a cancer grows (沈黙の奴が癌のように大きくむしばんでいるのを。)
Hear my words that I might teach you (僕が諭す言葉をよく聞くのだ)
Take my arms that I might reach you (僕が差し伸べる腕をしっかり取るのだ )
But my words like silent raindrops fell (しかし、僕の言葉は沈黙のままで滴り落ちる雨粒のようなもの。)
And echoed In the wells of silence (沈黙の井戸に、落ちて、ポチャリと、こだまするだけだ。)
言葉を聞く者もなく、差し出した腕を掴もうとする者もなく、無情にも井戸に落ちてしまう。
そして、
ネオンの下に集まる何万もの人々がネオンを神とあがめている姿が描かれる。
ネオンは文明とする解釈が多いが、僕は都市の比喩だとも捉えている。
とてつもない大きな閉塞感に立ちつすくばかりだ。
1964 年に書かれた歌詞だが、この状況は変わっていないし、もっと深刻になっている。
人と人のコミュニケーションは様々なメディアによって活発になっているかのように見える。
自戒も込めて、本当に人の言葉を聞いているのか、本当の言葉を話しているのか。
難しいと痛感するのは、人と関わりたくないと感じてる人にどう対話をするか。
あるいは、様々な環境がつくりだした「自己否認」の感覚に対して、どう対話するのか。
やはり、温かい個対集団の対話群によって支えられていくのだと思う。
カウンセラーと個のふたりの関係だけでは、問題はなかなか解決しないのではないか。
人と自然のコミュニケーションも希薄になっている。
「自然とのふれあい」よく聞かれるフレーズだが、これまで、少なくとも100年前頃までは自然は生きるために必要な糧だった。
食料を得る、家の材料を得る、着るものを得る、子どもの遊び場であり、地域の団欒の場でもあり、自然の中での労働があった。
人とモノの関係も希薄になっている。
織物をしている人の話では、自分の織った反物にハサミを入られないという。
相当の時間をかけて織物は完成する。その手間ひまを考えると大事に使う気持ちがおのずと出てくる。
着物にしてぼろが見えてきたら、裂き織りにする。それもぼろになってきたら雑巾にする。
一度、織られたものはおそらく100年以上は使われていたと思う。
今は消費社会になっていて、物は捨てるものになっている。
人は毎日、何かを捨てている。インドのラダックの村にはゴミ箱がないそうで、そればすべてが循環しているからだ。
捨てるという行為がどういう心理的影響を与えるのか、調べたが研究データは見つからなかった。
しかし、プラスの感情よりもネガティブな感情へ影響するような気がする。
ここまてば個対個の話だった。
コミュニティを言い換えると、「対話群」とも言える。
人と人との対話群、人と自然の対話群、人とモノの対話群。それらが相関しながらひとつのまとまりとして、コミュニティを形成している。
家族の対話群、地域の対話群、国の対話群、世界の対話群。それぞれがつながり、影響を及ぼしている。
家族は地域で支えられ、地域は国で支えられ、国は世界で支えられる。
逆に世界を国が支え、国を地域が支え、地域を家族が支える、
そんな「支えのおすそわけ」ができると、世界と個人はもっと、幸福になっていくのだと思う。
自然との厳しい側面もあるが、伝統的な温かい人とモノの対話群がまだ残っているのが、田舎だ。
人・自然・モノとの本物の対話群によって、自分らしい価値観がつくられ、自分らしい人格がつくられ、愛する気持ちを育む。
それが子へ受け継がれていくこと。
つまり、田舎の持つ宝物とは、詰まるところ、この対話群にあるのではないか。
どの地域でも同じようなことをしている、アイデアがあるとかない、とかではない。
そうした対話群が田舎にたくさん残っていることが重要なのだ。
そうした対話群がたくさんであれば、あるほどいい。
サービスではなく人間として受け入れ、豊かな対話群の中に迎え入れ、受け止め、見守り、愛することが必要だし、田舎にはその力がまだある。
人の再生と地域の再生、森や自然の再生はそこから始まるのではないか。
まだ、できることはある。
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※1
The Sound Of Silence
P. Simon, 1964
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Hello darkness, my old friend
I've come to talk with you again
Because a vision softly creeping
Left its seeds while I was sleeping
And the vision that was planted in my brain
Still remains
Within the sound of silence
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In restless dreams I walked alone
Narrow streets of cobblestone
'Neath the halo of a street lamp
I turn my collar to the cold and damp
When my eyes were stabbed
by the flash of a neon light
That split the night
And touched the sound of silence
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And in the naked light I saw
Ten thousand people maybe more
People talking without speaking
People hearing without listening
People writing songs that voices never shared
No one dared
Disturb the sound of silence
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"Fools," said I, "you do not know
Silence like a cancer grows
Hear my words that I might teach you
Take my arms that I might reach you"
But my words like silent raindrops fell
And echoed in the wells of silence
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And the people bowed and prayed
To the neon god they made
And the sign flashed out its warning
In the words that it was forming
And the sign said
"The words of the prophets are written
on the subway walls And tenement halls
And whispered in the sound of silence
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参考
「サウンド・オブ・サイレンス」論
http://www.st.rim.or.jp/~success/soundofSi_ye.html※2
「無題」1979.秋
真っ暗い 真っ暗い 日食の日に
地下鉄に駅はいらない
椅子もなければ 吊り革もない
ただ小さな窓があったような なかったような
どちらにしても乗客には関係なかった
かおまいなしに走っていた
加速度的に速度を上げた
それこそ今にも壊れそうに
ガタガタの線路の上で電車も揺れたし
面白い様に乗客も揺れた
話し声は聞こえなかった
口ぐらいは動かしていたかも知れないが
鉤裂きになった時間の裂け目から
出るためには死ななければならない
昔はそんなこともありました
今ではそんな馬鹿げたことをする人は一人もいない
※3
「知恵の三つ編み」
アメリカ教育省「模範教育プログラム」選定図書
ポーラ・アンダーウッド著 星川淳訳 徳間書店
参考
http://www.aritearu.com/Influence/Native/NativeBookPhoto/Mitsuami.htm