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遠州浜松「里の家」里山の暮らし

浜松市北区都田町の里山に魅せられて、森と田んぼと畑のある里山、築120年の古民家で暮らし、みやこだ自然学校をしています。

ヒメヒオウギズイセン

ヒメヒオウギズイセンが咲き始めました。
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[ 2016/06/26 20:16 ] 四季の風景 | TB(0) | CM(0)

里の家のソメイヨシノ

あまり条件の良くない場所ですが、毎年、咲いてくれます。
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[ 2016/04/10 20:14 ] 四季の風景 | TB(0) | CM(0)

アヤメが咲きました

ずっと根付いてるアヤメの群生。
今年もきれいに咲きました。
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[ 2014/05/10 01:17 ] 四季の風景 | TB(0) | CM(0)

新緑がきれいです

5月。
里の家り新緑が一層、きれいに見えます。
遊びに来てくださいね。
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[ 2014/04/29 21:22 ] 四季の風景 | TB(0) | CM(0)

サギソウ

サギソウが咲きました。
可憐で、儚い。
そして美しい花です。

四国の親戚から頂いた種を植えてから、半年。
思い出深い花になりました。

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[ 2013/08/24 19:00 ] 四季の風景 | TB(0) | CM(0)

ホスピタリティ

以前、知的障害児のための「森のやさしい時間」をほぼ月一回のペースで三年間、やりました。この時、森林療法だけでなく、音楽、食事、アロマを含めた総合的なプログラムを目指していました。フィールドの課題や自分自身の勉強不足もあり、十分とは言えない取り組みとなり、心残りな気持ちがあります。

もともと、森林療法はドイツのクナイプ療法をお手本に、日本に紹介されました。日本とドイツの決定的な違いはその制度にあります。ドイツでは、森林療法であるクナイプ療法が推進され、保険が適用されますが、日本(厚生労働省)はそこまでの認識はありません。こうした政府の後押しもあって、ドイツのメディカル・ハーブはかなり研究されている感があります。日本では、漢方と薬草の歴史がありますが、明治以降の西洋医学の導入により、この研究・実績が途絶えたと僕は感じています。ハーブが浸透した日本では、メディカル・ハーブと漢方と薬草の両方を融合させた植物療法があってもいいのではないかと思っています。

すぺてのひとの心身の健康のために、必要なことは自然から頂く「食・水・空気」をベースにした自然療法だと考えています。食と水のことはよく言われますが、実は空気も大切です。呼吸して酸素を取り入れていますが、酸素を食べているとも言えます。本当の星空を体験した方は分かると思いますが、清浄な澄んだ空気なら夏でも天の川が見えます。汚れた空気を呼吸していては、健康にはなれないというのが僕の持論です。空気を清浄にしてくれている森林。

森林浴で言わるフィトンチッドは、針葉樹に含まれていて落葉樹には含まれていません。人工林の杉・ヒノキはフィトンチッドをたくさん出して、清清しい空気をつくりでしています。もともと、虫や病気を防ぐための自衛手段として、フィトンチッドの香りを拡散しています。フィトンチッドの拡散量は朝に多く、次いで夕方となっています。またフィトンチッドは空気より重いため、下へ下へと流れ溜まます。

森林浴をするなら、杉・ヒノキの人工林、朝方、谷あいがオススメです。朝は野鳥も多く活動しているので、バードウォッチングしながら、というのもいいかも知れません。

人工林の適正な管理をして、自然療法プログラムができれば予防医療としてまたホスピタリティの面からも海外からでも人が呼べると僕は思います。自然から頂戴した食材で薬膳料理、おいしい水、自然の音楽。座禅をし、温泉にも入る。すべてが揃っているのが山村です。「こんな田舎によく来てくれた」と、心温まるもてなしはまさに「ホスピタリティ」です。今、山村を失うことは世界にとっても損失になると危惧しています。
[ 2012/07/15 18:32 ] 四季の風景 | TB(0) | CM(0)

原点回帰

このところ、里の家をガーデン化するため作業をしたり、寄せ植えをしたりしていると、子どもの頃の記憶が鮮明に蘇る瞬間があります。
小さな庭だったけど、母はよく手入れをしていて、水仙、あじさい、紅葉、くちなしなどが植えてありました。
母は毎日、玄関に花を生け、履き掃除をしていました。
僕は清清しい気持ちで登校していたのを覚えています。

コミュニティ・ガーデンから山とまちをつなぐ里山ガーデンへと発想し、ビジネス・モデルがつくれる気がしています。
しかし、里山ガーデンのイメージを掴んでもらうための「場」が浜松にはまだありません。
生態系を重視した多様性のある、生き物たちが暮らせる里山ガーデン。素敵なイメージが僕にはあります。
そのをつくって表現したい衝動にかられていて、今日も作業をしていました。

都市計画、まちづくり、観光、福祉、生態系・・これまでしてきたことが、ひとつに結実してきた感じ。
心情的にも、自分の人生を遡って、世間ずれしていない、くったくのない笑顔、つくることが大好きだった自分、あの頃の子どもの自分に戻ったような感覚があります。
すべての動きが原点回帰へ向かい、自分が本質的に変化したような、そんな感覚があります。

とにかく、庭をつくることが楽しい、やりたいと純粋に感じます。
里山ガーデナーにるなると決めたからには、猛烈に勉強しないと・・
[ 2012/04/17 19:48 ] 四季の風景 | TB(0) | CM(0)

コミュニケーション=対話群 そしてサウンド・オブ・サイレンス

里山MOTHERでは、人材育成もテーマなっていて、このところのテーマだった。
最近、青年たちの抱えている課題が想像以上に重いものだと気づいて、半ば呆然としている自分がいる。

明治以降の海外偏重の価値観、捨ててきてしまった「にっぽん」の文化や伝統、慣習。
戦後の高度経済成長による都市化と核家族化、山村地域でのコミュニティの弱体化。
モノがあふれ、ごみもあふれ、自然が少なくなり、本物が少なくなった。
バブルの時にさらにそれが加速し、お金が幸せの条件かのような錯覚も生まれた。
バブル崩壊後の経済、労働派遣法のよる労働形態の変化、就職難。
国際的なテロ、環境問題、国際紛争、未曾有の自然災害、通貨危機。
こうした歴史の積み重ねの上に、重層的な矛盾が個人にのしかかっている。
この中で、どうやって希望を見出したらいいのか、もし僕が今、学生だとしたら不安で押しつぶされてしまうかもしれない。

2月11日(土)の電通、黒岩氏を招いての企画を考えていた。
コミュニケーション、そのテーマに辿り着いた時、思い出したの「サウンド・オブ・サイレンス」だった。
中学の友人がこの歌詞の深さを教えてくれて、ずいぶんと語り合った思い出がある。
一般的には、現代のコミュニケーションの欠如がテーマだとされている。(※1)
これに影響されて書いた自分の詩もある。(※2)
また、「知恵の三つ編み」という口承史の何千世代に渡り継承されてきたネイティブ・アメリカンの物語も思い出した。(※3)

サウンド・オブ・サイレンスでは、寝ている 時にビジョンが忍びより種を蒔いていったとある。
これは神の啓示とも受け取れる。その種の正体が何なのか探っていくと、様々な光景が見えてくる。

And in the naked light I saw (僕は見てしまった。裸電球の下で、)
Ten thousand people, maybe more (一万か、いやもっと多くの人が、)
People talking without speaking(口を動かすこともなく語っている姿や )
People hearing without listening (耳をそばだてることもなく聞いている姿や)
People writing songs that voices never share (歌われることもない歌を書いている姿を)

"Fools" said I, "You do not know (「馬鹿」って言うよ。君たちは何も分かっちゃいないのだ。)
Silence like a cancer grows (沈黙の奴が癌のように大きくむしばんでいるのを。)
Hear my words that I might teach you (僕が諭す言葉をよく聞くのだ)
Take my arms that I might reach you (僕が差し伸べる腕をしっかり取るのだ )
But my words like silent raindrops fell (しかし、僕の言葉は沈黙のままで滴り落ちる雨粒のようなもの。)
And echoed In the wells of silence (沈黙の井戸に、落ちて、ポチャリと、こだまするだけだ。)

言葉を聞く者もなく、差し出した腕を掴もうとする者もなく、無情にも井戸に落ちてしまう。
そして、
ネオンの下に集まる何万もの人々がネオンを神とあがめている姿が描かれる。
ネオンは文明とする解釈が多いが、僕は都市の比喩だとも捉えている。
とてつもない大きな閉塞感に立ちつすくばかりだ。
1964 年に書かれた歌詞だが、この状況は変わっていないし、もっと深刻になっている。

人と人のコミュニケーションは様々なメディアによって活発になっているかのように見える。
自戒も込めて、本当に人の言葉を聞いているのか、本当の言葉を話しているのか。
難しいと痛感するのは、人と関わりたくないと感じてる人にどう対話をするか。
あるいは、様々な環境がつくりだした「自己否認」の感覚に対して、どう対話するのか。
やはり、温かい個対集団の対話群によって支えられていくのだと思う。
カウンセラーと個のふたりの関係だけでは、問題はなかなか解決しないのではないか。

人と自然のコミュニケーションも希薄になっている。
「自然とのふれあい」よく聞かれるフレーズだが、これまで、少なくとも100年前頃までは自然は生きるために必要な糧だった。
食料を得る、家の材料を得る、着るものを得る、子どもの遊び場であり、地域の団欒の場でもあり、自然の中での労働があった。

人とモノの関係も希薄になっている。
織物をしている人の話では、自分の織った反物にハサミを入られないという。
相当の時間をかけて織物は完成する。その手間ひまを考えると大事に使う気持ちがおのずと出てくる。
着物にしてぼろが見えてきたら、裂き織りにする。それもぼろになってきたら雑巾にする。
一度、織られたものはおそらく100年以上は使われていたと思う。
今は消費社会になっていて、物は捨てるものになっている。
人は毎日、何かを捨てている。インドのラダックの村にはゴミ箱がないそうで、そればすべてが循環しているからだ。
捨てるという行為がどういう心理的影響を与えるのか、調べたが研究データは見つからなかった。
しかし、プラスの感情よりもネガティブな感情へ影響するような気がする。

ここまてば個対個の話だった。
コミュニティを言い換えると、「対話群」とも言える。
人と人との対話群、人と自然の対話群、人とモノの対話群。それらが相関しながらひとつのまとまりとして、コミュニティを形成している。
家族の対話群、地域の対話群、国の対話群、世界の対話群。それぞれがつながり、影響を及ぼしている。
家族は地域で支えられ、地域は国で支えられ、国は世界で支えられる。
逆に世界を国が支え、国を地域が支え、地域を家族が支える、
そんな「支えのおすそわけ」ができると、世界と個人はもっと、幸福になっていくのだと思う。

自然との厳しい側面もあるが、伝統的な温かい人とモノの対話群がまだ残っているのが、田舎だ。
人・自然・モノとの本物の対話群によって、自分らしい価値観がつくられ、自分らしい人格がつくられ、愛する気持ちを育む。
それが子へ受け継がれていくこと。

つまり、田舎の持つ宝物とは、詰まるところ、この対話群にあるのではないか。
どの地域でも同じようなことをしている、アイデアがあるとかない、とかではない。
そうした対話群が田舎にたくさん残っていることが重要なのだ。
そうした対話群がたくさんであれば、あるほどいい。
サービスではなく人間として受け入れ、豊かな対話群の中に迎え入れ、受け止め、見守り、愛することが必要だし、田舎にはその力がまだある。
人の再生と地域の再生、森や自然の再生はそこから始まるのではないか。
まだ、できることはある。

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※1
The Sound Of Silence
P. Simon, 1964
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Hello darkness, my old friend
I've come to talk with you again
Because a vision softly creeping
Left its seeds while I was sleeping
And the vision that was planted in my brain
Still remains
Within the sound of silence
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In restless dreams I walked alone
Narrow streets of cobblestone
'Neath the halo of a street lamp
I turn my collar to the cold and damp
When my eyes were stabbed
by the flash of a neon light
That split the night
And touched the sound of silence
_____________________________________________
And in the naked light I saw
Ten thousand people maybe more
People talking without speaking
People hearing without listening
People writing songs that voices never shared
No one dared
Disturb the sound of silence
_____________________________________________
"Fools," said I, "you do not know
Silence like a cancer grows
Hear my words that I might teach you
Take my arms that I might reach you"
But my words like silent raindrops fell
And echoed in the wells of silence
_____________________________________________
And the people bowed and prayed
To the neon god they made
And the sign flashed out its warning
In the words that it was forming
And the sign said
"The words of the prophets are written
on the subway walls And tenement halls
And whispered in the sound of silence
_____________________________________________
参考
「サウンド・オブ・サイレンス」論
http://www.st.rim.or.jp/~success/soundofSi_ye.html

※2
「無題」1979.秋

真っ暗い 真っ暗い 日食の日に
地下鉄に駅はいらない

椅子もなければ 吊り革もない
ただ小さな窓があったような なかったような
どちらにしても乗客には関係なかった

かおまいなしに走っていた
加速度的に速度を上げた
それこそ今にも壊れそうに

ガタガタの線路の上で電車も揺れたし
面白い様に乗客も揺れた
話し声は聞こえなかった
口ぐらいは動かしていたかも知れないが

鉤裂きになった時間の裂け目から
出るためには死ななければならない
昔はそんなこともありました
今ではそんな馬鹿げたことをする人は一人もいない

※3
「知恵の三つ編み」
アメリカ教育省「模範教育プログラム」選定図書
ポーラ・アンダーウッド著 星川淳訳 徳間書店
参考
http://www.aritearu.com/Influence/Native/NativeBookPhoto/Mitsuami.htm
[ 2012/01/11 18:31 ] 四季の風景 | TB(0) | CM(0)

放射線と食の安全

「放射線は目に見えないから不安」という意見が聞かれる。その不安は当然だと思う。一方で違和感も覚える。では目に見えるものは、安全かどうか判断しているのだろうか、という疑問。食品添加物はパッケージの裏に書かれている。一時、食品添加物が問題になった時代があった。カネミ油症事件、森永砒素ミルク事件などがあげられるが、僕が最も危険だと感じたのはAF2という防腐剤だ。

AF2は海外では発ガン性があるとして食品添加物として認可されなかったが、日本は昭和40年に認可された。AF2に触れた菌が遺伝子異常を起こして繁殖できないため防腐剤として優れていた。昭和49年に使用禁止となったが、日本人は9年間に渡り、AF2を食べていたことになる。僕は昭和36年生まれ。4歳から13歳の間、AF2を含む豆腐や魚肉ソーセージが市場やスーパーに並んでいたことになる。これが、日本人のガンの発生率や遺伝子異常による疾患や障害のひとつの要因となっていると考えている。子どものおやつだった魚肉ソーセージ、今から10年から20年後、平均寿命は現在よりも下がると僕は考えている。

これまでの消費者運動により、極めて毒性の強い食品添加物は使われていない状況だと思う。しかし、何故、食品添加物が使われているのかを考えてもらいたい。まず本物の食品を知らないのだという認識。例えば、ベーコン。実際に作ったことのある人は知っていると思うが、あんなに鮮やかな色にはならない。チャーシューのようなくすんだ色が本物のベーコン。燻製でいぶすため熱が加わるためだ。もうひとつは「安全ならいいんじゃないの」ではなく、人の体に必要のないものはいらない、これまで人類が口にしてこなかったものはいらない、という認識。例えば、木材のセルロース成分はシロアリは消化できるが、人間はできない。消化できないと分かっていて木材を食べる人はいないと思う。しかし、何の栄養もない食品添加物は食べている。もちろん、自然由来の添加物もあるが。日本は世界一の食品添加物消費国だそうで、国民一人あたり年間4.2キログラムも食べいるとの報告もある。僕は食べたくない。

何故、食品添加物が使われているのか。見た目をよくして消費者に買ってもらうため、長距離輸送するためだ。産地が遠ければ遠いほど、僕は買う気が失せる。輸送コストやそれに使われている石油、保存のための農薬や食品添加物が多いのではないかと懸念するからだ。「放射線は目に見えないから不安」という方は、是非、パッケージの裏も見て欲しい。目の前にある「おいしそうな色をした」食品の中に含まれているのだから。僕は自然由来のものはOK、化学的な防腐剤や着色料はNGとしている。そうした食品を食べると僕の味覚は薬臭く感じる。

他にもリスクはたくさんある。ダイオキシンによる環境ホルモン問題もそうだ。プラスチックを焼却する際、ダイオキシンが発生するというものだった。1960年代からの高度成長期、使い捨てのゴミが大量に発生していた。今は高温で焼却し発生が抑えられているためダイオキシンがどうとか言う人も見かけないが、では一体、そのダイオキシンはどこにいったのか。基本的に分解されにくい物質とされている。キノコの一種である白色腐朽菌はダイオキシンを分解することが知られているが、彼らがすべてを分解するだろう、してくれたのだろうとは到底、思えない。化学物質過敏症で困っている人に会ったことがある。接着剤に含まれるホルムアルデヒトが主な原因だ。安かろう良かろうで住宅を買うと、合板に含まれるホルムアルデヒトで困ったことになるかも知れない。住宅に限らず、家具も同様だ。

ぐっと、放射線に話に戻ると、放射線は1960年代の空中核実験で世界中にばら撒かれ、半減期を過ぎた現在でもわずかに、しかし確実に残っている。チェルノブイリ原発事故は1986年。その影響もあるだろう。自然界にあるウランの放射線もある。また、2011年6月には、太陽で巨大フレアにより膨大な放射線嵐が発生し地球に届いた。つまり、今回の事故や過去の核実験や原発事故がなくても、放射線はこの地球にずっと存在していた。それをゼロにすることはできない。これから、放射線の影響ではないかという症状が現れるかもしれない。その時、因果関係を明らかにする検証はかなりの困難を伴うだろう。

文明はリスクを伴う。当時に自然もリスクがある。3.11はそのことを如実に示した。文明も自然もリスクゼロの世界は有り得ない。リスクと闘うこと、リスクを予見し準備をすること、知恵を働かせ、力を合わせることで人類は誕生以来、生き延びてきた。放射線だけでなく、文明や自然のリスクを俯瞰的に広く捉え、ライフスタイルをどうするか考えてもらいたいと思う。
[ 2011/10/22 23:43 ] 四季の風景 | TB(0) | CM(0)

浜名湖と山

7月の末、浜名湖のイベントと山のイベントに参加してきました。海のイベントは浜名湖の水草・アマモとアオサを回収して、たい肥にする取組み。遊覧船に乗って湖上観察やカニの放流など。海草類をたい肥にするのは知っていましたが、実際、時期とか塩抜きとか具体的なことはさっぱり。回収の時期は夏休み前、浜名湖は汽水湖で海水よりは塩分濃度が低いせいか、特に塩抜きはしなくても使えるとのこと。作付け前にすきこむようです。以前から海と里をつなげたいと思っていたので、来年、やってみたいと思います。
海草とり

風光明媚との言葉がぴったりの風景があります。海よりも塩分が少ないので、潮風に当たってもべたべたしないのもポイントアップ。
風光明媚

遊覧船の船長さんは若い女性でした。色々な職種に進出している姿を見ると、頼もしいなと思います。船の波の軌跡を見ていると若い頃、フェリーに乗って北海道へ渡った記憶が甦って、今、ここにいる自分の存在と年齢を重ねたと実感します。
軌跡


その翌日、水窪へ。天竜T.S.ドライ匠の会の匠荘プロジェクトに参加してきました。袋井の二橋建築の二橋棟梁の仕事は以前、見学をしたことがあり、技と人柄が魅力です。社宅だった中古の家をリフォームしています。デッキがかなりできていて、桜の古木の緑陰や脇を流れる清流と調和していい感じになっています。
匠荘デッキ

今回は壁塗り体験をしました。プロの左官屋さんはすいすいとやってしまいますが、素人の僕は力が入りすぎて腕がすぐに痛くなりました。
壁塗り


作業後の懇親会は雑穀料理の「つぶ食・いしもと」へ。始めた頃と数年前、そして今回と三回目ですが、料理の腕前が上がっていて、とてもおいしく頂きました。また、懇親会前のちょっとした時間に西浦小へ立ち寄りました。ここでレストランを始めようという動きがあり、ひょっとすると準備しているかなと思い行ってみると車があり、声をかけると一人の女性が。窓枠の社長が立ち上げて、地元の女性に依頼しているらしい・・。詳しいことは分かりませんが、とにかく西浦小が水窪の拠点施設になるといいなと思います。匠荘は作業を「手伝ってくれた方から優先的に使える」らしいので、宿泊は匠荘、食はいしもとさん、アクティビティは西浦小。これから水窪がいいフィールドになりそうです。
[ 2011/08/03 23:31 ] 四季の風景 | TB(0) | CM(0)