みやこだ自然学校の都田の畑や滝沢の森で考えたこと、その他の活動や旅、身近な自然などつれづれに。今、自分が考えていること、感じたことをまとめておく場所でもあります。固い話もありますが読みたい方はどうぞ♪

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原点回帰
2012-04-17 Tue 19:48
このところ、里の家をガーデン化するため作業をしたり、寄せ植えをしたりしていると、子どもの頃の記憶が鮮明に蘇る瞬間があります。
小さな庭だったけど、母はよく手入れをしていて、水仙、あじさい、紅葉、くちなしなどが植えてありました。
母は毎日、玄関に花を生け、履き掃除をしていました。
僕は清清しい気持ちで登校していたのを覚えています。

コミュニティ・ガーデンから山とまちをつなぐ里山ガーデンへと発想し、ビジネス・モデルがつくれる気がしています。
しかし、里山ガーデンのイメージを掴んでもらうための「場」が浜松にはまだありません。
生態系を重視した多様性のある、生き物たちが暮らせる里山ガーデン。素敵なイメージが僕にはあります。
そのをつくって表現したい衝動にかられていて、今日も作業をしていました。

都市計画、まちづくり、観光、福祉、生態系・・これまでしてきたことが、ひとつに結実してきた感じ。
心情的にも、自分の人生を遡って、世間ずれしていない、くったくのない笑顔、つくることが大好きだった自分、あの頃の子どもの自分に戻ったような感覚があります。
すべての動きが原点回帰へ向かい、自分が本質的に変化したような、そんな感覚があります。

とにかく、庭をつくることが楽しい、やりたいと純粋に感じます。
里山ガーデナーにるなると決めたからには、猛烈に勉強しないと・・
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つながりと生物多様性
2012-03-26 Mon 20:17
この前、浜松で活動する団体の方々、有志で集まりました。ここの最近、いろいろなところで活動やショップがうまれています。全体を調整することは難しいと思いますが、このままでは分散的になってしまい、力を集中するべき時に、うまく連携ができないのでは・・と危惧を感じていました。

主な話題は
大きな交流イベントとかはブッキングしないように調整しよう、
そしてエコノワ遠州つながる生活地図帳(仮)のようなものをつくりたいということ。
昔、浜松生活地図帳っていうのがあって、僕が浜松に来た頃、それがとても役立ちました。
環境や生活、農の団体などの情報が掲載されていました。

今日、ふと思ったのが、今、遠州で多様な動きがあり、その多様性を生物多様性に当てはめるとどういうことが言えるのだろうということ。
はっきりしているは、生物多様性が命のつながりで成り立っていること。多様な活動が広がるだけでなく、つながりをつくることで本当に豊かな活動になっていくのではないか。このつながりは、例えば東海地震の時にも力を発揮すると思います。あらゆる社会的な危機に対応できるのは、生物で言えば「適応力」です。知恵を集めて適応していく力は、このつながりがなければできないことです。つながりから希望も生まれます。

鉢植えやプランターは土から離れているため世話をしなければなりません。それを土に植え替えると、生態系とつながり生きていくことができるようになります。土とは、遠州の風土であり産業であり、歴史や文化、そして人です。

つながりは網の目のようにつながり、広がることでより強固になります。このつながりがリアルとバーチャルで同時的に展開することで、コミュニケーションが活性化し、相互に補完することができるようになります。facebookやネット環境もまだすべての人が使えるものになっていません。これが将来、家電のように誰でも使えるものになれば、可能性は広がります。
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受け入れるやさしさ
2012-02-11 Sat 02:24
最近、「福祉×環境」という切り口で企画を考えているうちに、さらに自分の根本的な理由がわかったような気がした。子どもの頃、母親を守れなかったことが動機になっているらしい。もちろん、小学生だった僕に何かできたのかというと、無理なこと。それでも、40年以上も経た今もなお、後悔として残っている。
何かを守るのって、勇気が求められる。自然を守ることと愛すること、人を守ることは僕の中では同じ感覚。誰かが何かに抑圧された状況、人権を真っ向から否定された状況を見ると、許しがたい感情がこみ上げてくる。
これまで、どうしてそういうことが起こるのか、考えたり調べたりしてきた。それでも、やはり人間を理解することは難しくて、どうしてもブラックボックスが残ってしまう。ということは他者から見て、自分の中にもブラックボックスがあるということなんだって、今さらのように気づいた。おんなじじゃんって。
インナーマザーやDV、いじめ、性犯罪などの社会問題は依然としてあるけれど、このブラックボックスにこだわっていると、大切な言葉を忘れてしまう。
「どうしたの?嫌ならは話さなくていいから、大丈夫だよ」
「守ってあげたかった、守りたいよ」
「ずっと側にいるよ、安心して」
「苦しかったり、悲しかったら泣いてもいいんだよ」
「あなたが悪いんじゃない、あなたのせいでもない、自分を責めないで」
こうして書いていると、何か歌の歌詞のようだけど、こういう言葉なんだと。ああ、僕が言いたかったのは、こういうことなんだ。受け入れるってよく言うけど、守りたいっていう気持ちなんだと、気づいた今日でした。
子どもにも、友人にも、時には親にも、そして、自然に対しても。
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最近の心境、立春
2012-02-06 Mon 19:56
3.11後、何かしなければならないとの焦りがありました。リアルタイムで見た映像は今も鮮明に脳裏に残っています。まず、考えたのは復興計画。海と里、森をつなぐことで循環ができる、そのことに気づいたのは収穫でした。そして、「にっぽん里山MOTHER」の構想に二ヶ月をかけました。しかしこの実現のためには資金がネックとなりました。

続いて、環境教育サービスの講師の仕事が9月の下旬頃から始まりました。これは行政などの公的な資金に頼らず、企業・市民など民間との協働やCSRで環境教育事業の可能性を探るというもの。これまでになく、どこにマーケットやニーズがあるのか、様々な切り口から集中的に考えるきっかけとなりました。

プロモーションにも力を入れ、エコジャパンカップに応募し企業賞を頂きました。後から分かったことですが、エントリーは30団体で、受賞は10団体。それなりに認められたということでしょうか。また、TBSの「風の言葉」の取材を受け、関東圏で放送されることが決まっています。

そして、母親のこと。年明けに帰省、小さくなった母親が杖をつきながら歩く姿に、胸が痛みました。手術はせず、薬の投与に変わるそうで、しばらく実家に帰ろうかとも考えました。

この四つの大きなプレッシャーは自分が想像していた以上に大きかったのだと思います。おそらく、秋口から1月の半ばまでの3ヶ月間、自分を見失う結果となりました。今、振り返ると本当の笑顔でいたのだろうかと思います。これまでのスタンスは、自分できることは自分でする。みやこだ自然学校のスタンスもこれまでそうしたものでした。しかし、にっぽん里山MOTHER」の構想を実現し、これからの事業継続を考えると、そのやり方では到底、無理。これまで、一般的に言われている方法論・運営論・マネジメントなどはあっさり捨てて、白紙から考える必要に迫られました。この三ヶ月間、人の細やかな心の有り様に気配りができていなかったと思います。そのために、十分な対応、思いやりのある言葉がけができなかった人間関係がいくつかあります。

確かに「にっぽん里山MOTHER」の構想は、日本各地で遠州で取り組まれている事例をひとつの統合し、関連付け、ひとつのビジョンとしてまとめたものです。これ自体は豊かなものだと思っていますが、それを進める自分が豊かな心でいたかというと、必ずしもそうではなかったように思います。

この状況を救ってくれたのが、遠州トランジション浜松の青年たちでした。特に代表夫婦は、いつも心が開かれていて、受け入れる空気があります。それで多くの人が集い、語り合い、笑う中で、何かが動き出し、形になっていく姿を見て、自分の中で何か凍りついていたものが溶けて、本来の自分の持つ青空が広がった、そんな感触が生まれました。地道に歩き、道をつくり、形にしていくこと。それが自分らしさ。諦めないのが自分らしさ。無理をして一気にすべてを作り上げようとすると、どこかでぎくしゃくする。自然な流れで、気持ちがまとまり、何かが始まり、その先に事業化が見えてきます。どう稼ぐかが先ではなくて、やはり思いが先になければ、コミュニティビジネス的環境教育事業は成立しないのだと思います。「お金は後からついてくる」と誰かの言葉、その通りだと思います。

人の弱さを受け入れるためには自分の弱さを認め、困っていること、助けてほしいこと、悩んでいることを話し、そして相手の声に耳を傾けること。そんな単純な事に50歳を過ぎて、ようやく気づきました。弱さや情けなさ、みっともない、かっこ悪い、そんな自分を支えてくれる人がいて、はじめて強くなること、理解しました。

社会的なミッションも大切ですが、自分の趣味まで諦める必要もありませんでした。陶芸、ろくろに向かう時、無心になります。土がなりたい形にしていくとし自然との一体感を感じます。渓流でのカヌーも川流れが生きているように感じて、同じように一体感があります。紙飛行機が長く風に乗り飛んでいる姿は無条件に楽しく思います。読みたかった本もたくさんあります。旅をしたい場所もたくさんあります。公私のバランスをとりながら、残りの人生を過ごしたいなと思っています。
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コミュニケーション=対話群 そしてサウンド・オブ・サイレンス
2012-01-11 Wed 18:31
里山MOTHERでは、人材育成もテーマなっていて、このところのテーマだった。
最近、青年たちの抱えている課題が想像以上に重いものだと気づいて、半ば呆然としている自分がいる。

明治以降の海外偏重の価値観、捨ててきてしまった「にっぽん」の文化や伝統、慣習。
戦後の高度経済成長による都市化と核家族化、山村地域でのコミュニティの弱体化。
モノがあふれ、ごみもあふれ、自然が少なくなり、本物が少なくなった。
バブルの時にさらにそれが加速し、お金が幸せの条件かのような錯覚も生まれた。
バブル崩壊後の経済、労働派遣法のよる労働形態の変化、就職難。
国際的なテロ、環境問題、国際紛争、未曾有の自然災害、通貨危機。
こうした歴史の積み重ねの上に、重層的な矛盾が個人にのしかかっている。
この中で、どうやって希望を見出したらいいのか、もし僕が今、学生だとしたら不安で押しつぶされてしまうかもしれない。

2月11日(土)の電通、黒岩氏を招いての企画を考えていた。
コミュニケーション、そのテーマに辿り着いた時、思い出したの「サウンド・オブ・サイレンス」だった。
中学の友人がこの歌詞の深さを教えてくれて、ずいぶんと語り合った思い出がある。
一般的には、現代のコミュニケーションの欠如がテーマだとされている。(※1)
これに影響されて書いた自分の詩もある。(※2)
また、「知恵の三つ編み」という口承史の何千世代に渡り継承されてきたネイティブ・アメリカンの物語も思い出した。(※3)

サウンド・オブ・サイレンスでは、寝ている 時にビジョンが忍びより種を蒔いていったとある。
これは神の啓示とも受け取れる。その種の正体が何なのか探っていくと、様々な光景が見えてくる。

And in the naked light I saw (僕は見てしまった。裸電球の下で、)
Ten thousand people, maybe more (一万か、いやもっと多くの人が、)
People talking without speaking(口を動かすこともなく語っている姿や )
People hearing without listening (耳をそばだてることもなく聞いている姿や)
People writing songs that voices never share (歌われることもない歌を書いている姿を)

"Fools" said I, "You do not know (「馬鹿」って言うよ。君たちは何も分かっちゃいないのだ。)
Silence like a cancer grows (沈黙の奴が癌のように大きくむしばんでいるのを。)
Hear my words that I might teach you (僕が諭す言葉をよく聞くのだ)
Take my arms that I might reach you (僕が差し伸べる腕をしっかり取るのだ )
But my words like silent raindrops fell (しかし、僕の言葉は沈黙のままで滴り落ちる雨粒のようなもの。)
And echoed In the wells of silence (沈黙の井戸に、落ちて、ポチャリと、こだまするだけだ。)

言葉を聞く者もなく、差し出した腕を掴もうとする者もなく、無情にも井戸に落ちてしまう。
そして、
ネオンの下に集まる何万もの人々がネオンを神とあがめている姿が描かれる。
ネオンは文明とする解釈が多いが、僕は都市の比喩だとも捉えている。
とてつもない大きな閉塞感に立ちつすくばかりだ。
1964 年に書かれた歌詞だが、この状況は変わっていないし、もっと深刻になっている。

人と人のコミュニケーションは様々なメディアによって活発になっているかのように見える。
自戒も込めて、本当に人の言葉を聞いているのか、本当の言葉を話しているのか。
難しいと痛感するのは、人と関わりたくないと感じてる人にどう対話をするか。
あるいは、様々な環境がつくりだした「自己否認」の感覚に対して、どう対話するのか。
やはり、温かい個対集団の対話群によって支えられていくのだと思う。
カウンセラーと個のふたりの関係だけでは、問題はなかなか解決しないのではないか。

人と自然のコミュニケーションも希薄になっている。
「自然とのふれあい」よく聞かれるフレーズだが、これまで、少なくとも100年前頃までは自然は生きるために必要な糧だった。
食料を得る、家の材料を得る、着るものを得る、子どもの遊び場であり、地域の団欒の場でもあり、自然の中での労働があった。

人とモノの関係も希薄になっている。
織物をしている人の話では、自分の織った反物にハサミを入られないという。
相当の時間をかけて織物は完成する。その手間ひまを考えると大事に使う気持ちがおのずと出てくる。
着物にしてぼろが見えてきたら、裂き織りにする。それもぼろになってきたら雑巾にする。
一度、織られたものはおそらく100年以上は使われていたと思う。
今は消費社会になっていて、物は捨てるものになっている。
人は毎日、何かを捨てている。インドのラダックの村にはゴミ箱がないそうで、そればすべてが循環しているからだ。
捨てるという行為がどういう心理的影響を与えるのか、調べたが研究データは見つからなかった。
しかし、プラスの感情よりもネガティブな感情へ影響するような気がする。

ここまてば個対個の話だった。
コミュニティを言い換えると、「対話群」とも言える。
人と人との対話群、人と自然の対話群、人とモノの対話群。それらが相関しながらひとつのまとまりとして、コミュニティを形成している。
家族の対話群、地域の対話群、国の対話群、世界の対話群。それぞれがつながり、影響を及ぼしている。
家族は地域で支えられ、地域は国で支えられ、国は世界で支えられる。
逆に世界を国が支え、国を地域が支え、地域を家族が支える、
そんな「支えのおすそわけ」ができると、世界と個人はもっと、幸福になっていくのだと思う。

自然との厳しい側面もあるが、伝統的な温かい人とモノの対話群がまだ残っているのが、田舎だ。
人・自然・モノとの本物の対話群によって、自分らしい価値観がつくられ、自分らしい人格がつくられ、愛する気持ちを育む。
それが子へ受け継がれていくこと。

つまり、田舎の持つ宝物とは、詰まるところ、この対話群にあるのではないか。
どの地域でも同じようなことをしている、アイデアがあるとかない、とかではない。
そうした対話群が田舎にたくさん残っていることが重要なのだ。
そうした対話群がたくさんであれば、あるほどいい。
サービスではなく人間として受け入れ、豊かな対話群の中に迎え入れ、受け止め、見守り、愛することが必要だし、田舎にはその力がまだある。
人の再生と地域の再生、森や自然の再生はそこから始まるのではないか。
まだ、できることはある。

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※1
The Sound Of Silence
P. Simon, 1964
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Hello darkness, my old friend
I've come to talk with you again
Because a vision softly creeping
Left its seeds while I was sleeping
And the vision that was planted in my brain
Still remains
Within the sound of silence
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In restless dreams I walked alone
Narrow streets of cobblestone
'Neath the halo of a street lamp
I turn my collar to the cold and damp
When my eyes were stabbed
by the flash of a neon light
That split the night
And touched the sound of silence
_____________________________________________
And in the naked light I saw
Ten thousand people maybe more
People talking without speaking
People hearing without listening
People writing songs that voices never shared
No one dared
Disturb the sound of silence
_____________________________________________
"Fools," said I, "you do not know
Silence like a cancer grows
Hear my words that I might teach you
Take my arms that I might reach you"
But my words like silent raindrops fell
And echoed in the wells of silence
_____________________________________________
And the people bowed and prayed
To the neon god they made
And the sign flashed out its warning
In the words that it was forming
And the sign said
"The words of the prophets are written
on the subway walls And tenement halls
And whispered in the sound of silence
_____________________________________________
参考
「サウンド・オブ・サイレンス」論
http://www.st.rim.or.jp/~success/soundofSi_ye.html

※2
「無題」1979.秋

真っ暗い 真っ暗い 日食の日に
地下鉄に駅はいらない

椅子もなければ 吊り革もない
ただ小さな窓があったような なかったような
どちらにしても乗客には関係なかった

かおまいなしに走っていた
加速度的に速度を上げた
それこそ今にも壊れそうに

ガタガタの線路の上で電車も揺れたし
面白い様に乗客も揺れた
話し声は聞こえなかった
口ぐらいは動かしていたかも知れないが

鉤裂きになった時間の裂け目から
出るためには死ななければならない
昔はそんなこともありました
今ではそんな馬鹿げたことをする人は一人もいない

※3
「知恵の三つ編み」
アメリカ教育省「模範教育プログラム」選定図書
ポーラ・アンダーウッド著 星川淳訳 徳間書店
参考
http://www.aritearu.com/Influence/Native/NativeBookPhoto/Mitsuami.htm
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